ぷろふぃーる

ydoffice_山﨑信成事務所 YAMAZAKI nobunari, Tokyo, JAPAN

 1991(平成3)年から練馬区関町の住人。子ども3人、孫9人

現在、愛犬モモ(百。ミニチュアダックス、16歳♀)と、好配美以子(弓道家)の三人暮らし。

装丁家(ydoffice)

 

1946年長野市生まれ。姉、妹の3人兄弟

信州大学教育学部附属長野小学校・中学校→山形県立鶴岡南高等学校→1965年早稲田大学教育学部入学。Wスクールで池坊学園お茶の水学院夜間部でいけばなを修得→1969年教育学部卒業→堀内誠一さん、立木義浩さんらが活躍したアド・センター(解散)に勤務後、編集デザインを中心に独立。NHK出版(旧・日本放送出版協会)のテキスト、書籍、広告を中心に制作活動。jobs

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News!

僕がアートディレクションした『田口護のスペシャルティコーヒー大全』が、

平成24年5月24日「第3回辻静雄食文化賞」を受賞致しました。


家は長野市高野の古い家系で、直系男子として一人だけの僕は、皆に大事に育てられた(江戸時代の平助さんから数えて八代目になる。江戸以前については、檀寺・興禅寺の「焼き払い」で過去帳が焼滅、詳細は不明)。

昭和21年5月7日、旧家の母の実家(長野市篠ノ井)で、僕はお産婆さんに取りあげられ産声を上げた。

幼年は善光寺の鐘の音が聞こえる長野市箱清水の高台に住み、自然一杯の中で育った。100坪以上あったバックヤードには、父が趣味で野菜や果樹を植えていて、ご飯のおかずにとキュウリやらトマトやらをよく採った。(東京に来て何が驚いたかと言うと野菜を買う、という事だった)。屋敷には紫竹林(マダケの一種、いわゆる黒竹) があり冬、雪が降り積もった時は朝早く父とよく叩いて雪を落としたものだ。この紫竹のタケノコが美味で、よくみそ汁に入っていた。大人になって渓流釣りをやりながら、山菜として採るネマガリダケも美味しいが、紫竹のそれにはかなわないような気がする。柿の木が3種類、一本は豆柿で、渋くて食べれなかった。趣味のいけばなの観賞用だね。一本は富有柿でもう一本が大きな屋敷柿で良く登って柿を採ったもんだよ。柿の枝は折れやすいからと良く注意された。栗は大きくポクポクの実と小さ いけどしっとり柔らかい実の2種類があった。僕は小さい実の方が美味しいと思う。栗の木にはアブラムシがびっしり付いていたのには閉口した。この小さい実の栗 は他では食べた事が無い。商品価値が小さいのかな〜?流通に乗っていないのだ。大きい実のイチジク、これも本当に美味しかった。隣の井戸の上には緑色のブドウ’ナイヤガラ’の棚があり、あの香りは今も鮮明に覚えている。「味と香りを一緒に食べる」ということを、幼少の頃に自然に習得していたんだね。「味と香り」でいえば、屋敷柿の下一面にあった、実は小さいけど甘く香りがあったイチゴは食べきれなくて、母はよくジャムにしていた。美味しいジャムだった。ジャムはアンズでも良く作った。アンズは4本あり、生食用の大実とジャム用の木があって実の大きさも味も違った。アンズのあの甘酸っぱい味は今でも忘れられず、ここ関町にも ‘信州大実’ を長野から取り寄せて1本植えてある。

自然に恵まれた中での生活は心が豊かだったね。今はやりのロハスなんだよ。四季折々楽しかったね。

(←成人を祝う。母の実家長屋門前「段仕立て・台杉」の前で、甲冑姿で撮影。写真館が出張撮影。)

 


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